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何故蟹をモティーフにして描くようになったかについて少しお話したいと存じます。
ある時、千葉の海岸へスケッチ旅行へ出掛けました。皆さんは当然の様にスケッチしておりましたが私は丁度、絵が描けなくなっていた頃でしたのもあって、何故ここの海でなくてはならないのかその理由が見つからず、ぶらぶらと他様(ひとさま)の絵を見て廻り乍ら、何故この海岸の絵を描いているのか尋ね歩いて廻っておりました。彼らは普段、時間が無いから、あるいは山間部に住んでいるのでとかそれなりの理由を持っておりました。しかし私にはその様な理由が全く無く、ゴロリと寝転んで岩の上に居りました。そんな時、足に何やら触る物があり、起き上がって見るとそれが小さな蟹だったわけです。その蟹が小さな岩の割れ目にサッと逃げ込み出て来ようとしません。足の一本位捥ぎ取られてもジーッとして出て来ません。その事はその蟹が己の身の危険を感じて、身の保全を計る為にとった行動であると考えられます。
その蟹の行動が。後日サラリーマンの通勤電車の様を見て、ふと二ツの状態が重なって見えて来たのです。蟹だって這りたくて這った岩の割れ目では無い筈、サラリーマン諸氏も寿司詰め状態の中で通勤したい訳ではないだろう。当時は就職難の時代で自分の好みを云々出来る時代では無かったのです。従って両者共に生き抜く為にはそうせざるを得ないと言う点で同じだと思った訳です。そこから蟹をモティーフにして描くことになった訳です。
描いてみると、色々のことが見えて来て大変に面白いものでした。生きた蟹を踏みつけても足の裏に痛みは感じません。しかし死んでしまった蟹の殻を踏みつけると、足の裏に刺さって飛び上がるほど痛いものです。つまり生きている時は自己主張はさしたる事もありませんが、死んですべてが無になった瞬間から主張が強く確固たるものとなります。その他諸々のことが見えてきました。そんな一連の蟹の作品です。