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30歳を過ぎた頃から自分の描いている蟹の絵にマンネリ化を感じ始め、何とかしようと言う気持ちから外国に行ってみようと、友人からの誘いもあって、ヨーロッパに旅立ちました。
フランスでは研究所で勉強し、スペインでは北から南まで旅した中で、行商のおぢさんから人間の傲慢さを見せて貰い、原住民のインディオ達から人の生き方の本質を見せられたりし乍ら、同時に自分は日本人だと言う事をいやと言うほど感じさせられて来ました。
帰国後、日本の朝市のおばさん達や行商のおばさん、最終的には京都の大原女や白川女に至り、その頃には色について考える様になっておりまして、日本人の持っている色彩感覚みたいなものをぼんやりと掴んで、その事は現在の描いている絵の中にまで繋がって来ております。